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2006年2月 4日 (土)

ラリースパイク

昔群馬の赤城山にある沼で、冬場の湖面が凍結した時期に氷上ジムカーナのようなものが開催されていたようだ。
今からもう二十年も前の話になるのだが、これに出ると言う友人のハチロクが履いていたタイヤが凄かった。
基本は当時のADVAN WR13と言うラリータイヤであり、一本一万以下のお買い得タイヤであったのだが購入時にハンコが必要だったらしい。いわく、
「私はこのタイヤを一般道では使用いたしません、ハンコ」(爆)

実際にはこれにスパイクピンを打ち込んで使用する。
ピンはおおまかに3種類あり、それぞれを「マカロニ」「ワインカップ」「ダブルフランジ」と呼んでいた。形状はその名称から想像して頂きたい。(ダブルフランジはマカロニの断面が○であるのに対し中途から◎になっているもの)
これらを走行目的に合わせて選択し、さらにピンのつき出し量を変えて路面に対応させる。ピンの数はタイヤ一本辺り200本程度であったと思うが、その昔の時点でもピンは一本100円し(工賃込み)トータルでは結構な金額となった。

このタイヤをハチロク氏から借用して117(PA96)に取り付け苗場に出かけた事があった。持ち主からの注意事項は、
「90km/h以上出すな」
「高速の橋の鉄板踏んだ瞬間に飛ぶぞ」
「下道に降りたらなにやってもいい」

高速道での挙動はまさに言う通りのものであった。...と言うか普通に走っていてもいつ飛ぶかわからないようなグリップ感ゼロの感覚であり、筆者はえらい怖い思いをしつつどうにか月夜野インターまでたどり着く。その間に抜かれた東京方面ナンバーは100台を越えていたであろう。
(後で聞いたら、普通はゼロから僅かにマイナスにセットするピンを1mm突出させていたらしい)

なんじゃこりゃと文句タレつつ下道(圧雪状態)に降り走り出してみると、これがウソのようにグリップするんですね〜。(汗)
それがわかれば途端に元気になる若かった頃の筆者(笑)。高速で抜かれた東京ナンバーに追いつくたびにその全てを抜き返し時にはアウトから軽くドリフトしながら抜くなんて事が大した苦労もなく出来たのだ。
苗場に上がるまで軽く30台以上を抜き、それでも助手席の女の子はずっとけらけら笑っていたからさほど不安感も無かったのだろう。(...筆者にだってそんな時代はあったんですっ)
実際今思い出してみてもこのタイヤは凄かったと思う。

この当時の一般車はスノータイヤ(現代のM+S並)+チェーンか普通のスパイクであり、苗場に至る三国峠のような場所ではとりあえず登り切れればラッキーと言った程度のシロモノであったのだ。当然どの車も30〜40km/h程度がやっとの状態だ。
そこを後ろから煽ってくる怪しい117...(笑)
ハチロクやセリカ等の数台はやや抵抗しスピードを上げて逃げようとする。しかしコーナー手前のブレーキングで挙動を乱し、そこをアウトから抜く。こっちのタイヤは遥かにブレーキを遅らせられるし、またかなり強いブレーキングさえ可能だったから、強く短いブレーキでハナを入れつつややリアを振りそのままアクセルオンでコーナーを抜ければもう着いてこようとする車は無かった。

車でも腕でもない、タイヤが極端な能力を持っていたと言う例である。
(もう時効になってる話ですから...笑)

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コメント

ラリースパイク、そういう時代がありましたね。スパイクが禁止となってから数年は隠れてスパイクがありました。

氷上のラリー、やっている方も見ている方も面白いですね。


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